元島民の池田定嗣様から60数年前に、中学校の先生2〜3名が入洞した
話を聞いて、洞口まで行って中をのぞいたと言う洞窟がある情報を頂き、
その洞窟は海蝕洞や太平洋戦争末期昭和19年に防空壕を三宅島に掘った
記録があるので当初それを疑ったが、元島民の方は完全否定した。
我々隊員6名は、飛行機(調布飛行場)や船(竹芝桟橋)を利用して2023年7月
16日(日)に元島民の方と合流し、洞窟内の写真撮影や観察を初めて会員の
長谷川春日隊員単独で行った。
洞窟は伊豆地区の北西崖に有り海蝕洞窟でも溶岩トンネルでもない1層目
にある柱状節理(溶岩がゆっくり冷えて固まり収縮すると形成される等)の
割れ目洞窟と考えられる。1874年に起きた北山腹の噴火で起きた地震も
影響しただろう。webで検索したが溶岩ドームの柱状節理割れ目洞窟(風穴)
や海蝕洞窟等は見つかるが、同様の洞窟は見つからず珍しい洞窟であった。
今後、測量など調査を行い名称をつける。
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文 川村一之
写真提供:長谷川春日(洞口及び内部)
鈴木一年(参加者)
川村一之(その他)
三宅村役場HPより
新中央航空HPより
東海汽船HPより